<グアム>ミクロネシア連邦のヨシヲP.ジョージ副大統領が81歳で死去

ミクロネシア連邦のリチャード・クラーク大統領報道官は、COVID-19で入院中のヨシヲ・パリクン・ジョージ副大統領が81歳で死去したことを発表しました。

ジョージ副大統領は、「すべての人の友であり、誰の敵でもないこと、そして、すべての民族と国家に平和、友情、協力、共通の人間性における愛を広げるというミクロネシア連邦の外交政策を、その個人生活と職業生活において例証しました」と、プレスリリースに記されています。

8月14日に発表されたこの発表では、いつ亡くなったかは明らかにされていません。

ミクロネシア連邦のデビッド・W・パヌエロ大統領は、ジョージの名誉のために国家的な喪に服すことを宣言する予定であるとリリースは述べています。

ジョージさん(81歳)は、7月19日に地域の流行が始まって間もなく、ウイルスに感染して発病しました。7月24日に初めて入院が報告され、それ以来、入退院を繰り返していました。

1941年7月24日にコスラエで生まれたジョージ氏は、1969年にハワイ大学の奨学金を得て、数学の学士号を取得しました。

交通局のエンジニア、コロニア小学校の教師、サイパンの太平洋諸島信託統治領の社会保障局長など、公職に就いていました。

また、ミクロネシア連邦社会福祉局局長、コスラエ州最高裁判所長官、ミクロネシア連邦国連大使、ミクロネシア連邦駐米大使を歴任しました。

政治家としては、1979年から1980年にかけてコスラエ州第一副知事、1983年から1991年にかけてコスラエ州知事を2期務め、その後ミクロネシア連邦議会の上院議員を務めました。

副大統領を2期務め、最近ではパヌエロ大統領のもとで亡くなるまで大統領を務めました。

https://www.guampdn.com/news/fsm-vice-president-yosiwo-p-george-dies-at-age-81/article_05444d0a-1b46-11ed-81b0-5766ba326521.html

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